2009年5月5日火曜日

批判する権利

 ボクは人の悪口を言うのが好きである。別にその人のことを嫌いではないのだが人の陰口を肴に飲む酒はうまい。そんな自分が言う権利はないかもしれないが、ボクが今一番気を付けているのは、人を簡単に批判しないということだ。近年人は簡単に人を傷つけ過ぎである。自分の都合の悪いこと、面白くないことがあると、必ず批判する。本人にその気がなくても必ず批判は誰かを傷つける。だからボクは簡単に人を批判しない。
 ボクがこういう風に考えるようになったのは数年前ABC放送の「熱闘甲子園」を見たときである。その回の放送ではある留学生選手を取り上げていた。留学生選手という言葉を聞いて日本人はどう思うだろうか。恐らくいい気はしないだろう。寧ろ「面白くない」「卑怯」「そこまでして勝ちたいのか」と思うだろう。留学生頼りの大学駅伝のチームや外国人でクリーンアップを任せているプロ野球チームを見て応援する気は多少失せるだろう。実はボクもそうだった。留学生入れて戦うなんて卑怯だと思っていた。負けろと思っていた。しかし、「熱闘甲子園」を見てボクの考えは変わった。その回では、まだ全然日本語を話せなかったころ苦労していた姿や、日本人と同じく仲間と同じ目標に向かって練習している姿や、親に会えなくて寂しがる姿、そしてそのご両親も故郷で寂しがる姿が放送されていた。考えてみれば安易に想像できたはずである。十代の若者が親元を離れ言葉の分からない国に飛び込むのだ。人一倍辛い思いをして、努力したに違いない。しかも、外国人というだけで白い目で見られるなんて。ボクはなんという愚行を繰り返していたのだろう。多くの人の批判は彼のこころを痛め付けただろう。その時以来ボクは簡単に批判しないよう気をつけている。
 自分が面白くないことがあるとすぐ批判するのは悪いクセである。亀田大毅への切腹コールなんていじめだ。あんな多数で言われたらと思うと恐くて仕方ない。ETC割引で渋滞が起こっているらしいが、とあるニュースで、割引にしたせいで渋滞が引き起こるのは何とかしてほしい、と不満を垂らしているドライバーがインタビューで言っていた。では一体どうしたらよいのだろう。せっかく安くなったのだから、そこは目をつぶるべきではないか。自分の不満は全部国のせいとしてしまう傾向はよく見られる。批判はもちろん必要である。悪いものは悪いと批判しなければ悪がはびこってしまうだろう。ただ安易な批判はそれ自体悪となる。
 マスコミに目を向けてみる。マスコミは何か問題あるとすぐ集中砲火する。ボクはここでマスコミ批判するつもりはない。マスコミを仕事にしている人間にだって生活がある。少しでも過激に、目を引くような報道をするのはある程度仕方ない。もちろん一部には目をつぶれないようなものもあるが、ここでは割愛する。つまり、大事なのは報道の受け手である民間人である。ひとつの失言、行き過ぎた言動が報道され、それをどう感じ、どのような意見を持つのかは我々の使命だ。主体性を持たずにマスコミの言うことを鵜呑みにし、簡単に批判する。そして誤報があればすぐマスコミを批判する。そのような人に自分はあるのだろうか?マスコミは情報獲得手段であり判断材料である。しかし判断基準ではない。判断基準は自分の中にある。批判するにも賞賛するにも。

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