2009年5月10日日曜日

宗教の是非

 ボクは宗教は必要か、という問いに明確な解答を示す事ができない。
 不必要と思う理由は、当然のことだが宗教対立により世界が歪曲しているからだ。対立するぐらいなら宗教なんかいっそのこと無くなってしまえ。ただ宗教がなくても対立のない世の中は実現できまい。結局宗教は動機のひとつに過ぎないからだ。とりあえずは人間の心の問題ということだが、そんな曖昧な表現で終わらせることはできない。社会制度なり強烈なリーダーが必要だ。しかしながら、対立の原因のひとつが減ることには変わりないため、宗教は不必要であると言える。
 ただボクは基本的には必要という立場に立っている。日本人にとって宗教というと日常の妨げという感覚がある。日々の礼拝や様々な教義は不可思議なものである。しかしボクは宗教によって人は救われていると思う。もちろん神によってというわけではない。辿り着けない何か大きい存在を信じることで、つまり各々の精神によって救われているのだ。
 ボクたちは日々の細事に追われ苦悩する。でかい夢があっても目の前のことをこなすだけで一生懸命になってしまう。そういった日常はなかなか辛いものである。それが毎日続けば精神状態はボロボロだ。しかし、そんな細事を本当に小さいことと捉え、自分には叶えるべきこと、守るべきものがあるならばそれほど問題にはならないはずだ。それは夢であり家族であり宗教でもある。かなり大雑把な言い方をするが、宗教はそれが定める正しい行為、強い信心があれば天国に行けるというのが基本的な考え方である。天国に進めるならば目の前の問題など大した事ではないという、ある種の慰めの役割を果たしている。何かでかいものを信じないとやってられない、という境地でもある。
 ボクにとっての宗教は自分なりの哲学である。中学2年のとき、生きるとは何なのか、愛とは何なのか、という中学時代にありがちな哲学の芽生えをボクも経験した。夜な夜な布団の中で考えては自分なりの答を探し続け、友達同士で語り合ったものである。半分以上は忘れてしまったものの、その時期に考えたことは人格形成に大きな影響を与え、今の自分の考えのベースにもなっている。その自分なりの哲学を守ったり実現を目指すことで、ボクは日々を健全に過ごしている。ただ当時は文章化することをしなかった。非常に悔やまれる。言語化、文章化することで考えが整理される。そして何より大事な記録として保存もできる。これはボクがブログを再開したひとつの動機である。
 考えを書き溜めて哲学を作っていこう、自分。自分から自分への最高の投資だ。

2009年5月9日土曜日

苦笑

 この記事のタイトルは「にがわらい」ではない。苦しい時に笑う、という意味だ。ボクは苦しみながら笑って生きる。
 ボクはまだ24年しか生きていないが、辛いことだらけである。しかし、それがいいのだ。辛いことを経験すれば成長できる。そして辛いことを乗り越えた時に自分のことを好きになれることが、自分にとって大きなプラスなのだ。自分を好きになれても、もちろんもう一人の自分は冷めている。でも、辛いことを乗り越え自分を好きになると、ボクの周りの世界はキラキラ輝きだす。やはりいい人生か悪い人生かを決めるのは自分次第である。ボクはそんなキラキラ世界にしたくて、二者択一の道では敢えて険しいほうを選ぶこともある。しかし、それには相当な覚悟がいる。今までで最も腹をくくったのは、大学二年の時の壊滅的な人間関係を解消するべく立ち上がった時である。ボクは20年以上続けてきた保身の気持ちを捨て、生まれて初めて攻めの姿勢で本音で話すことを決意した。それが一番皆のためになると思ったし、何より自分自身の成長のためであった。ただ、個人的に発狂しそうなほどの覚悟であった。これほど自分を追い詰めたのは先にも後にもこの時だけである。
 実際、辛いことは大抵向こうからやってくる。その刹那ボクは嫌になる。溜息をつく。逃げたくなる。でも、心の中ではガッツポーズをとっている自分も存在する。やったこれでまた成長できる、充実した時間を過ごせる、と。会社ではいつもボクはビクビクしながら業務をこなす。できれば平穏に終業してほしいと思って仕事している。でも、平穏に終わったら帰るときがっかりする。充実感もないし、成長した実感もまるで無い。世界は鈍く輝いている。語弊があるが心の中ではハプニングなり予想外の出来事が起こることを期待しているのだ。単純に頑張る機会に飢えている。
 しかし、それではいけない。自分から日々辛い道を選ばなければいけない。ボクは上記体験では険しい道を進む覚悟ができた。ただ過去を振り返ると、ここぞという場面でボクは逃げてきた。そして周りに甘えてばかりで、マイナスの影響を与え続けた。マイナス1人前である。まずは受験である。ボクは二浪した。東京外大入学に妥協しなかったことはよかった。でも、特に苦労していない。ボクに二浪は辛い道ではなかった。むしろ興味本位で浪人生になりたかったというのもある。それに加え、親と生活しているがゆえ、お金には困らない、御飯、風呂、朝起きるのも親に頼ってばかりの楽な生活であった。外大を受け続けたのだって、親が期待してくれてただの肩書きがほしかっただの、なんとも受け狙いな動機である。また肝心な勉強も自分を追い込むことをせず、目の前の欲に負け続けた。これではとても辛い道とはいえない。部活においても同様のことが言える。日々の与えられた練習を楽にこなすことばかり意識して、ただこなすだけの練習であった。監督と周りの人間への受け狙いで練習していた。その割に、自分はよくやっていると感じていた。
 辛い道を望む自分と楽な道を望む自分の争いである。親はもう当てにしてはいけない。監督ももういない。辛い道を選ぶことが日常になれば、ボクはやっと0人前になれる。

2009年5月5日火曜日

劇場型人生

 至極個人的な話をする。しかしきっと同じ事を感じている人、潜在的に認識している人は必ずいるはずだ。
 人は、いやここではボクは、と言っておく。ボクは人生という劇場の演者だ。セリフを与えられ演技している自分と役そのものの自分が同時に存在している。あまり好きな表現ではないが、偽りの自分と本当の自分とも言える。この二つの自分が同時に存在するから苦労する。ひとりは人当たりがよく元気で理性的な自分。もう一人は陰険でエゴイストな冷めた自分。前者が役で後者が素である。ただ自分の本性は全て素の部分ですとは断言できない。与えられた役も自分なのだ。自分の意思で動いていることに変わりない。でも取り繕っているせいか、演技中疲れてしまうこともある。でも役の自分は純粋に楽しい。いやな自分との争いに負けて、急に冷めだしても、そんな自分が好きでもある。別に冷めた自分を変えようとは思わない。変えたと思ってもきっとそれは無理をしているだけだから。
 もう一人の自分の存在に気付いたのはいつのことだろう。もちろん自分の生を認識できたときから存在し続けているのだろう。ただ、もう一人の自分をはっきり意識し、その存在に思い悩んだのは大学2年の秋であるのは明確に覚えている。壊滅的な人間関係に悩みんでいた。あの人のためにはどうしたらいいんだろうと考え続けて、結局自分はどうしたいんだろうという疑問にぶち当たった。ここをはっきりしないと人様のこと世話ごとなんてできるわけ無い。人を大事にするのならまず自分を大事にしろっていうのはこういうことなのかもしれない。そんなことばかり考えていたから、もう一人の自分を意識せざるを得なかった。その時は徹底的に深いところまで自分を見つめなおした。どうしてあの時こう感じたのか。どうしてあの時ああいった行動に走ったのか。本当は自分は何を大事に生きているのか。見えてきた自分は汚いものだった。だが不思議と辛くなかった。自分の脳内が整理され、多元的に自分の思考をグループ分けできたことに満足感さえ感じた。自分はしょーも無い人間である。だけど、そんな自分を恨んでもどうしようもない。そんな自分も好きになろう。自惚れかも知れないがニーチェの言う自己愛に近い境地かもしれない。
 そんな自分を否定する気はないが、自分が嫌になることはある。例えば恋しているときに顕著である。誰かを好きになって、胸高まっても、もう一人のが喚起する。それは恋じゃない、恋している自分に恋しているんだ、と。悔しいが確かにそうである。今までの恋といったら、彼女がいる状態にあこがれていただけであったり、恋愛状態が楽しいだけであったりしただけだ。その時だけは皆がボクの話をちゃんと聞いてくれる。その本心は実際恋愛中でも分かっている。でも表面の自分が臭い物に蓋をするのだ。オレはあの娘が好きなんだと言い聞かすのだ。恋だ、いや自己愛だ。こんなやり取りを自分の中で繰り返すうちに、自分が嫌になってしまう。そんな状態だから、恋に攻めの姿勢になれなくて、結局保身の気持ちで恋愛してしまう。本当に大事な人は相手だといえないのだから。むしろ大事なのは自分なのだから、傷つかないように動いてしまうのだ。本当に恋すると劇場のステージから降りて新たな境地に立つのではないか。そんな淡い期待がある。しかし、そんな境地分からないし、存在するのかも疑わしい。実際好きになればなるほど、葛藤は激しくなるだろう。それだけ相手のことを思っているわけだから。
 自分が嫌になってどうするかというと、2つの自分の葛藤を見てまた新たな3つ目自分が冷静に見つめるのだ。さらに悩んでまた4つ目の自分が冷静に見つめる。そしてそれはスパイラルしていく。一つ一つは違うことを言う。

くだらない。お前はそうやって悩んでいる自分が好きなだけだ。

そうやって冷静に見つめてる自分を見つめてる自分にお前は自惚れているのだ。

そのことをブログに書いて自分を格好良く見せたいだけだ。


そうやって自分のやることなすこと全てに客観視する自分が現れる。本当の自分など無い。全て自分だ。全ての自分を愛していこう。そして、ひとりひとり大事にしよう。

批判する権利

 ボクは人の悪口を言うのが好きである。別にその人のことを嫌いではないのだが人の陰口を肴に飲む酒はうまい。そんな自分が言う権利はないかもしれないが、ボクが今一番気を付けているのは、人を簡単に批判しないということだ。近年人は簡単に人を傷つけ過ぎである。自分の都合の悪いこと、面白くないことがあると、必ず批判する。本人にその気がなくても必ず批判は誰かを傷つける。だからボクは簡単に人を批判しない。
 ボクがこういう風に考えるようになったのは数年前ABC放送の「熱闘甲子園」を見たときである。その回の放送ではある留学生選手を取り上げていた。留学生選手という言葉を聞いて日本人はどう思うだろうか。恐らくいい気はしないだろう。寧ろ「面白くない」「卑怯」「そこまでして勝ちたいのか」と思うだろう。留学生頼りの大学駅伝のチームや外国人でクリーンアップを任せているプロ野球チームを見て応援する気は多少失せるだろう。実はボクもそうだった。留学生入れて戦うなんて卑怯だと思っていた。負けろと思っていた。しかし、「熱闘甲子園」を見てボクの考えは変わった。その回では、まだ全然日本語を話せなかったころ苦労していた姿や、日本人と同じく仲間と同じ目標に向かって練習している姿や、親に会えなくて寂しがる姿、そしてそのご両親も故郷で寂しがる姿が放送されていた。考えてみれば安易に想像できたはずである。十代の若者が親元を離れ言葉の分からない国に飛び込むのだ。人一倍辛い思いをして、努力したに違いない。しかも、外国人というだけで白い目で見られるなんて。ボクはなんという愚行を繰り返していたのだろう。多くの人の批判は彼のこころを痛め付けただろう。その時以来ボクは簡単に批判しないよう気をつけている。
 自分が面白くないことがあるとすぐ批判するのは悪いクセである。亀田大毅への切腹コールなんていじめだ。あんな多数で言われたらと思うと恐くて仕方ない。ETC割引で渋滞が起こっているらしいが、とあるニュースで、割引にしたせいで渋滞が引き起こるのは何とかしてほしい、と不満を垂らしているドライバーがインタビューで言っていた。では一体どうしたらよいのだろう。せっかく安くなったのだから、そこは目をつぶるべきではないか。自分の不満は全部国のせいとしてしまう傾向はよく見られる。批判はもちろん必要である。悪いものは悪いと批判しなければ悪がはびこってしまうだろう。ただ安易な批判はそれ自体悪となる。
 マスコミに目を向けてみる。マスコミは何か問題あるとすぐ集中砲火する。ボクはここでマスコミ批判するつもりはない。マスコミを仕事にしている人間にだって生活がある。少しでも過激に、目を引くような報道をするのはある程度仕方ない。もちろん一部には目をつぶれないようなものもあるが、ここでは割愛する。つまり、大事なのは報道の受け手である民間人である。ひとつの失言、行き過ぎた言動が報道され、それをどう感じ、どのような意見を持つのかは我々の使命だ。主体性を持たずにマスコミの言うことを鵜呑みにし、簡単に批判する。そして誤報があればすぐマスコミを批判する。そのような人に自分はあるのだろうか?マスコミは情報獲得手段であり判断材料である。しかし判断基準ではない。判断基準は自分の中にある。批判するにも賞賛するにも。

今感じる違和感

 社会人になって一ヶ月が経つ。正直一ヶ月程度では社会人とは何なのか、仕事とは何なのか今ひとつピンと来ない。そのせいか、まだまだ僕の中に学生気分が残っているのではという旨のことをよく先輩に言われる。ボクはその時大抵苛立ってしまう。すいませんとは言いつつも、心のうちは反発だらけである。
 なぜか。それは学生時代の自分にプライドを持って生きてきたからだ。ボクはまだ社会人一年生だが、学生時代に積み上げてきたコミュニケーション力や人間関係構築力を社会で充分に活かせられると思っている。もちろん、意地になってこだわるつもりもないし、これからの経験でどんどん変化させようと思う。ただ、ボクは鵜呑みにしたくないのだ。社会人のルールに違和感を感じ続けたいのだ。
 ボクはこの違和感を感じなくなってしまったら終わりだと思っている。こんなもんだと思って会社や社会のルールを無条件で受け入れてしまっては、ボクがこれまで積み重ねてきた知的世界が蔑ろになってしまう。ただ社会のルールにも合理的な根拠があるはずである。その根拠を知った上での反発でなければ、ただの反抗期の中学生である。ただの反逆者になっては、知的世界を狭めてしまうだけだ。例えば、宗教の教義は日本人からしたら意味の分からないものも多いが、きっと根拠はあるはずだ。イスラームでは豚肉は食べられないことになっているが、これはイスラーム地域の気候が生肉を保存するのに適していないからであって、恐らく豚肉にあたった人が多かったためこの教義ができたのではないか、というのは有名な話である。批判したり、拒否するのは簡単である。一歩相手の立場に立つことは重要である。だから、ボクはルールというものを絶対に鵜呑みもしないが、何かしらの根拠があることを信じて必ずまず受け入れることにしている。
 根拠があるかもしれないのだが、今のところ違和感だらけである。その中でも最たるものは目上の人との会話である。仕事の話ではなく日常会話である。あのリスクのないご機嫌伺いの会話は何なのだろう。ボクとしては会話に相手の地位なんか関係ない。もちろん礼儀は大いに重んじる。でも、むしろ相手の立場が上だからといって、自分の性格を変えたり、本音を隠すのは、それこそ失礼だと思う。違う時は違うといって、考え方がおかしいと思ったらおかしいという。ちゃんとツッコミも入れる。ツッコミも場合によっては乱暴にする。これで上司が不快感だったら仕方ない。謝るしかない。これがリスクだ。ただ、その不快感が一人間としてではなく、地位の違いから生まれるものだったら、少し悲しい。
 楽しませてもルール違反だと怒られる。楽しくなくてもルールを守れば好印象。それならばボクはどんどんルールを犯す。
 ボクは今後映像の世界に挑戦する日が来るまで、コミュニケーション力を鈍らせるつもりは無い。大衆とのコミュニケーションに決まりきった型など存在してはいけないのだ。

2009年3月10日火曜日

不平等

 世の中、不平等なことだらけである。どの家庭で生まれたかで、満たされた生活をする人もいれば、ひもじい思いをして揚げ句の果てには暴力を受けたり捨てられたりする。心理学によると人格形成要因の50%は環境によるものらしい。
 しかし、公然に境遇が悪いと認められた人達、あるいは動物たちにも募金という救いの手が存在し、それは少しでも平等な状態に近付けている。ボランティアの人達の活躍で相当な数の人達が救われているだろう。
 しかし、ボランティアや募金が悪いとは言わないし批判したくもないが、ボクはどうもこの募金という行為自体に納得がいかない。募金それ自体が不平等だからだ。世の中で不自由な暮らしをしている人は恐らく何億人、何十億人いるだろう。もちろんその中でも複数のハンデを持っている人もいるだろうし、動物愛護を含めたら程度の差はあれど星の数程あろう。では募金のシステムは全てを網羅できているだろうか?それは少し考えづらい。それは、ボランティアをしてくれる団体や個人がいるか否かという環境に依るのである。そこが今ひとつ附に落ちないのだ。
 また海外での心臓移植に対する募金活動や日本育ちの外国人の日本滞在延長に対する署名なども、マスコミに取り上げられるか否か、活動を協力する人がいるか否かに依ることも大きいだろう。なんとか一括して、不自由な人に分配できないものか。もちろん「夢」の記事で書いた通り、「貧しい」「不自由」の定義をする議論ばかりに腐心してはいけない。
 そしてボクは前述の記事で書いたように、テレビを介して苦しんでいる人たちや、もちろんそうでない人も幸せにしたいと思っている。しかし、それには限界があることも自覚している。砲撃されている真っ只中の人間を幸せにできる自信は正直ないし、まずもってテレビが身近にない人も大勢いる。そういう人にはどうしたらいいのだろう。真に世の人達全員を幸せいっぱいにすることなどできるのだろうか?ボク自信が夢見てるだけで終わりはしないだろうか?そんなことを考えては無力感を感じずにはいられない。

2009年3月9日月曜日

一言で人は救われる

 ある程度つらい経験なら、誰かが認めてくれれば報われるものだ。もしかしたら経験が美化されてしまう事もある。ボクもつらかった時期にちゃんと見てくれた人がいたから、そしてその時のボクを認めてくれたから、あるつらい経験が報われた。それは大学2年次の文化祭である。
 うちの学校では毎年2年生は専攻している言語の劇を行う。意外かもしれないが何ヶ月もかけて用意し、学校側も舞台装置に相当な投資をかけるほど本格的なものである。ボクはそんな大掛かりな劇のリーダーを務めることになった。積極的な性格を持って生まれたおかげで、ボクはこれまで様々なリーダーを務めてきた。何とか委員会とつくものは必ず選ばれたし、学級委員長や生徒会も何度も務めた。しかし、そういったリーダーは形ばかりのもので、実際決定権は先生にあったし、話し合いも結局「神の手」で話が決められた方向に進んだものだ。つまり、劇代表者で初めて本格的なリーダーシップをとる機会になったのだ。率直に言うと、力足らずだった。ボクは謙遜するのが嫌いだ。本当に至らない点が多かったと思う。ボクだけのせいとはさすがに言えないが、クラスが二分してしまったのだ。やる気のあるグループが、あまり劇の準備に関与しない人に苛立っていた。やる気がない方も勝手に話が進むことに不満を抱いていた。そんな水面下の対立が本番前1か月を切ったころに爆発してしまったのだ。ボクはまずこの爆発前に対立を認識していたものの、それを放置していたことを悔いている。保身の気持ちが強く働いていたのだ。対立の中にたつことで批判の的になることが嫌だったのだ。この対立がきっかけで話し合いが始まった。ボクは保身の気持ちを捨てなければ、と覚悟を決めた。この話し合いでボクは変わるんだという強い意志があった。でも結果は空回り。今考えれば当たり前である。それまで柔和に事を進めてきた人間が急にもの言うようになっても浮くだけである。結局臭いものに蓋をしたような話し合いになってしまい、とても悔しいかった。そして恥ずかしかった。その後もうちのクラスはぎこちない雰囲気が続き、皆を引っ張らなければならない立場のボクはつらいことが多かった。本番も成功には成功だったがいい思い出はほとんどなく、成功してうれしいというより、終わってホッとしたというのが本心であった。自分なりには人生で一番周りに気を配り神経を擦り減らした、結果的につらい数ヶ月だった。断っておくが「自分なり」というのは、社会で通用しないというのは分かっている。でも相当つらかったのだ。
 話は一年後まで飛ぶ。また文化祭の時期が近付いてきた。実はまだボクはクラスの他の人達と若干距離を置いていた。そんな中、後輩から劇への出演を頼まれた。人数不足で先輩から人員補充しようというのだ。当時、同期とうまくいっていなかったボクとしては後輩との繋がりは心の依り所だった。もちろん出演を快諾した。この時の気持ちとしては、後輩を助けたいというのに加え、不完全燃焼に終わった一年前の思い出を今回の劇で上塗りしたいというのも少なからずあった。結果的に前回より充実した時間を過ごせた。もちろん衝突もあった。またもやモチベーションの違いから来るものである。保身の気持ちを捨て腹を割った話し合いが完璧にできたわけではないが、ちゃんと皆で修羅場を味わえたし、ボクもある程度言いたい事を伝えられたと思う。
 そういった経緯があったからか、本番でははじけた。そして前回ではなかった心地よい達成感に包まれた。何より仲間と太いパイプでつながったのが嬉しい。
 でも、ボクが嬉しかった事はもうひとつある。それは前回の苦労をちゃんと見てくれていた人がいたことが分かったことだ。
 本番が終わり、演者と裏方は皆控え室に戻って大騒ぎをしていた。僕ももちろんテンションが上がりに上がってはしゃいでいた。そのとき一人の後輩がきて、ボクと話したい人が部屋の外で待っていると教えてくれた。足を運ぶとそこには佐野さんがいた。佐野さんとは、元劇団員で文化祭の外国語劇専任の講師のような人である。前回代表者だったボクはよく佐野さん主催のワークショップでお世話になっていた。とても忙しい人であるが、その時よく話もさせてもらった。そんな佐野さんが、後輩の代表者ではなくボクに用事があるという。何の用かと不思議な気持ちだった。佐野さんはまず、劇の内容や取り組みをほめてくれた。そしてボク個人にこういってくれた。「本当に稲生君にとって充実した劇でよかった。君は去年とてもつらい思いをしたんだね。ひとりで責任抱えこんじゃったりね。本当に良かった。」驚いた。佐野さんに一言も愚痴をこぼしたことはなかったのに何故そんなことが分かったのだろう。劇や練習風景を見れば分かるのか、はたまたボクが負のオーラを醸し出していたのか。
 また後日、後輩が本番前に佐野さんと話したときに、佐野さんはボクについて話していたらしい。「稲生君は去年クラスで監督の子が批判されそうになったときに、彼の壁になってまもっていたんだよ」これは恐らく当時の監督が佐野さんに話してくれたのだろう。確かにさりげなく彼が動きたいように動けるよう皆に話した記憶は無いでもない。ただ彼がそういう風に評価してくれていたんだと思うとちょっと可笑しく、また嬉しかった。
 ボクは監督に影ながら感謝しされていたことや、苦労してる自分を見てくれて認めてくれていた人もちゃんといるんだと分かった時、言葉にできないくらい幸せだった。本当の本当に幸せだった。その時から思い出が徐々に美化されている。

 これだから人間を止められない。

2009年3月8日日曜日

経済とは

 今日ふと「課外授業ようこそ先輩」という番組を見た。ある小学校の有名人OBがその学校で特別授業をするというシンプルな番組である。
 今日の先生役は経済アナリストの森永卓郎氏だった。ボクは別にこの番組を常に見ているわけではない。しかし、この回はとてもよかった。感動すら覚えた。今回、授業は2部構成だった。最初はおもちゃの金を使用した金稼ぎの擬似体験。最初に500円であらかじめ用意された美術道具を買いアートを作る。そしてそれを森永氏が買い取る。その利益で美術道具を買いさらにアートを作りまた売る、といったサイクルでどんどん所持金を増やすというゲームのような授業。ここでの鍵は森永氏が割高に買い取ってバブル状態にすることだ。予想通り子供たちは自分の作品が高値で売れることではしゃぎ、作品を作ることを手段にお金を稼ぐことに躍起になっていた。
 この授業は2日連続なので、お金稼ぎに必死になる子供たちは次の時間に備え力作を用意していた。しかし、森永氏は2日目は授業をしないという。つまり、もうおもちゃのお金もただの紙切れである。これがバブル崩壊だ。ボクは作品を作ることではなくお金を増やすことに必死な子供たちの姿や、お金に価値がなくなったと分かった瞬間の子供たちのキョトンとした表情や、騒然となったクラスを忘れられない。まるで現代社会の縮図のようであった。
 後半は限られたお金をどう使うかという授業。1人500円を渡され、5人1組で最高の思い出を作ろうというものである。お金を使い慣れていない子供たちは班ごとに計画を立てようとするが、500円じゃ何もできないとお手上げ状態だった。子供たちの案の中にはギャンブルで増やしたいだの、ゲーセンに行きたいだの、TDLに行きたいだのというものがあった。当たり前のことだが、金銭感覚が足りないようだ。ある程度節約しなければ生活できないボクとしては、何とも苛々する光景だった。森永氏曰くお金を使う能力は昔に比べると相当落ちたという。確かにボクも小学生だったら、森永氏の幼少時代に比べ陳腐な内容しか思い浮かばなかっただろう。
 でも子供はやはり考えるうちに成長するものである。ある班は30分歩いて渋谷まで行って電車で浅草に行くという。ある班は最寄りの多摩川近辺の駅まで行き、釣りをするという。道具は家まで持ち寄るらしい。ある班はクッキーを作り、それを販売して儲けたお金で皆でレストランに行きたいという。その他諸々、知恵を絞った案が見受けられた。心なしか子供たちが頼もしくなったように見えた。
 森永氏は最後に「お金稼ぎが目的になってはいけない。お金は幸せのための道具だ。今あるお金をどう使うかが大事だ」とまとめた。当たり前のことで、誰もが頭では分かっていることではある。ただこうして映像として見せてくれたNHKと森永氏のおかげで妙な説得力を感じた。

 今あるお金でいかに幸せになるか。これが経済であり経済学の本質であると今日からボク言い切りたい。

2009年3月7日土曜日

ピカソ

 ピカソが好きである。
 先日六本木で開かれたピカソ展に用事ついでに立ち寄った。この用事ついでがボクに強いインスパイア体験与えてくれた。とても良かった。これが率直な感想である。正直自分がピカソの絵に感銘を受けるとは思わなかった。
とは言うものの、ピカソ展でも最初の方は何も感じなかった。いわゆる青の時代のゾーンでは感心しながらじっと作品に見入る人に疑問さえ感じた。 でもピカソ中期というか、怪物のような生き物が描かれている絵が現れてくる時代のゾーンから心が揺さぶられてきた。ピカソという人物が見えてきたのだ。
個人的な意見であるが、何事も人物像が見えてくる瞬間が楽しい。音楽も本もスポーツも一部の政治家も「人間」「キャラクター」が見えるか否かがボクにとっては重要なのだ。太宰なんかは作品を読んでいくと、自分はくだらない人間だ、でもそれを客観視するオレはすごい、という太宰の気持ちを察し、彼の本性を感じることができる。太宰の場合はすごく顕著ではあるのだが。
 ピカソは実際どんなキャラクターだったかは知る由もない。でも言ってしまえばこれが「オレ流」芸術の楽しみ方なのだ。
 
 ピカソ展の最後はピカソの晩年の作品だった。そこでもいわゆる「子供が書くような絵」がほとんどである。でも、ピカソの初期の作品からしっかり見てきたボクにはわかる。確実にこの時期には心が充実している。同じような絵の中にも温かみを感じる。こんなステレオタイプな感想をまさかあまのじゃくのボクが持つとは思っても見なかった。
 最後の一枚。自画像である。そこに老いぼれの顔は無かった。とても穏やかな表情だった。こんなに穏やかな絵は初めてだ。ピカソは人生を駆け抜けた。でもこの晩年期にはとても穏やかな優しい時間を過ごしたに違いない。
 一人の人物に絞った美術展に行ったのは久々だった。ボクの美術の楽しみ方は「人物」を感じるわけだから今まで訪れた美術展で相当楽しめた方だ。一人の人間の歴史が見えてくるぐらいの量を見るべきだ。少なくともボクはね。そういった意味では、どれだけ有名な作品でもひとつだけ見ただけでは何の感動も無い。ボクは色んな時期に渡る作品を何枚も見たい。「人物」が見えてくるまで。
 
 「芸術は難しい」「分かんない」という人がいる。描写技法や何とか派という専門的な見方をする人もいる。もっと自分が好きなように見ればいいのにとも思う。ゲームが好きな人もスポーツが好きな人もテレビが好きな人も、自分がどんな時に快感かというのを分かっていればあとは同じように絵や彫刻を見ればいいのだ。

2009年3月6日金曜日

 ボクには夢がある。
 それはテレビの大プロデューサーなること。そして色んな人の心を揺れ動かしたい。感動させたい。笑わせたい。なにより日本をいい方向に持っていきたい。
 この場合何をもって「いい方向」かということである。これは「平和」とは何か?という議論と似ている。「平和」の概念なんて国によって人によって違うから「平和」は実現しないのでは?というなんとも学問的なそれである。そういう議論は大学で聞くことも多々会ったが、その時ボクは必ずこう言ってきた「君らは一生議論やっててください」。議論で平和が定義できたところで、本当に苦しんでいる人は平和を味わえないではないか。ならば、自分なりでいいから自分の平和のための活動を自分で実現しようとすればいい。だから動機はどうあれ海外で活動家として尽力している人などををボクは純粋にすごいなと思う。動機はどうでもいいのだ。議論で何とかなると思っているよりかは。かといってボクはなにか平和のために何かやっているわけではない。平和ももちろん大事なのだが、ボクはただ「いい方向」に持っていきたいのだ。
 ボクは人間の中に欲が存在する限り、差が生じるのは避けがたいことだと考える。するとやはり一部の人たちは程度の差はあれど苛酷な環境で暮らさなければならない。しかし、だからといって幸せになれないかといったらそうではない。ボクは平和でなくても幸せな状況を作り出したいのだ。
 具体的には「家族」の時間を取り戻したい。そういうと今より昔のほうがいい時代だったという、現代日本に流布した考えだと思われるかもしれない。大人達は「昔はよかった・・・」としばしば愚痴をこぼす。でもそれは違う。時代が変わっただけで、一概に今が悪いという考えには疑問が残る。
 人と人のつながりが希薄な昨今、特に家族間の場合は携帯やネットやテレビなどエンターテイメントの多様化が悪しき一役をかっている。ではそういった科学技術の産物を捨てればいいのか?それはあまりにもナンセンスである。時代にあった家族のあり方を模索していけばいい。テレビは家族の会話が減った主要因だと言われる。しかし、ボクはゴールデンタイムにテレビを消す家庭を増やすのは時代に合わないと考える。むしろ今は家族で楽しめる番組を皆がリビングに集まって楽しむ、のほうがふさわしいと思うのだ。家族が同じベクトルになるときって素敵だ。
 人間は人間がいるから生きている。これはボクの持論である。要は物質的にも精神的にも誰かが近くにいる、という状況の重要性をボクは説きたいのだ。では近くにいる存在になれる筆頭はやはり家族だと思う。家族とのつながりは人間が最初に携わるコミュニケーションの場であり、社会経験の基本的な経験である。ただこれは一般的な家族に限る話だ。たまに家族を疎く感じるものの、純粋に「家族っていいな」と思えるボクの恵まれた環境がそう思わせているのかもしれない。


 テレビ朝日系列「笑顔がごちそうウチゴハン」が好きだ。家族の空間を作り出そうとするこの番組はボクの理想でもある。ある回のゲストのジャガー横田さんは最後に感想を求められ、こう答えた「家族が皆で同じことして楽しむって素敵だなって思いました。私もこんな家族を作りたいです。」確かに番組のコンセプトにのっとったタレントさんとしての発言かもしれない。でもボクはこのシンプルでストレートな表現にいたく感動した。やっぱりまだまだ夢を追い続けたいと思った瞬間でもある。

稲生哲学

Blog やります。
以前もやってたけど、
今回は自分のために書こう!